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立ち方について

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立ち方について

立ち方については、宮本武蔵の著した五輪書から学んだ。
これほど、噛んで含めるかのように、丁寧に書かれた書は見たことが無い。「
この立ち方は、何をするにおいても、日常においても最も優れた姿勢であると言って良い。
但し、こうだろうという思い込みで作った姿勢では、効果が出ないおそれがある。
水の巻き前書にも、「一言ひとこと、一字いちじにて思案すべし、おおかたに思いては、道の違うこと多かるべし」
と書いていように、おおかたこんな意味だろうというような、いい加減な読み方では道をふみはずす事が多いと書かれている。
私がこの立ち方を習得出来たのは、魂合気のおかげといって良い、間違ったところがあれば、気の流れがとまり、合気が利かなくなる。
合気が利くのは、正にこの立ち方にあることが分かったからだ。

武蔵は「一芸は諸芸に通ず」と書いている。
その一芸が間違っていれば諸芸には通じない。諸芸に通じるということは宇宙の法則に則っているということである。
この立ち方が、宇宙の法則に則っているからこそ、魂合気にも、この立ち方が使えるというより必須であると言った方が良い。
諸道の方々にも、この姿勢を伝えると、すごく上達できたと言ってもらえる。
つまり、何事においても、まずは姿勢ということになる。

水の巻 兵法身なりの事
身のかかり、顔はうつむかず、あおのかず、ひずまず、目をみださず、
ひたいにしわをよせず、まゆあい(眉間)にしわをよせず(注)、目の玉うごかざるやうにして、
またたきをせぬやうにおもひて、目をすこしすくめるやうにして、うらやかに見ゆるかお、
鼻すじ直にして、少おとがい(あご)を出す心なり。くびはうしろのすじを直に、うなじに力をいれて、肩より惣身(全身)はひとしく覚え、両のかたをさげ、背すじをろくに(陸に、平らに)尻を出さず、ひざより足先まで力を入て、腰のかがまざるやうに腹をはり、くさびをしむるといひて、脇差しのさやに腹をもたせて、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云うおしへあり。
そうじて、兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とすること肝要なり。よくよく吟味すべし。

注=写本「楠家本」にはしわをよせずとあり、「細川本」にはよせてとある。宮本武蔵全書(弓立社)

背すじをろくに

「背すじをろくに(陸に、平らに)尻を出さず、ひざより足先まで力を入て、腰のかがまざるやうに腹をはり、くさびをしむるといひて、脇差しのさやに腹をもたせて、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云うおしへあり」。
このあたりは、腹腰に関する教えであるが、説明をわかりやすくする為に、体躯を、胸郭と腹と腰の三つに分けて説明する。
背筋を陸にするには、骨盤の傾きがポイントの一つになる。
腰の両脇に出っ張ったグリグリがある(骨盤の稜のところが飛び出ているのだが、この骨盤に覆われているのが腰である。
この骨盤の下部と脚とが連結しているので、骨盤と脚の関係が立ち方に大きな影響を及ぼす。
尻を出さずについて説明すると。例えば、仰向けに臥して、このグリグリを親指でふれて残りの四指で骨盤にふれるようにして感じながら、腰を動かしてみる(ぐりぐりを回転の軸にして、腰を上下に回転させてみると、お尻を出すとは、背中が反ることだと分かる。
お尻をださないようにすると背中が陸に(平らに)なり、畳に腰がつくようになる。
立った時もこれと同じように、尻をださない状態の姿勢をとります。

腹を張る

「腰のかがまざるやうに腹をはり、くさびをしむる」
腰をかがめると前傾姿勢になり、腹に皺がよるので、そうならないように腹を張るということだ。
張るということは、太鼓や、三味線の皮を張るように引っ張って平らにすることであり、お腹を膨らませて、お腹が張ったなどと言うのは大間違い。
お腹を張るとは、胸郭部分と腰の部分との距離を開けることでお腹の皮を上下に引って張る状態を言う。
くさびをしむるというのも、この状態になるための説明だ。
くさびは二つの間を分け開く働きをする。この場合は腰と胸郭の間を開く。
「脇差しのさやに腹をもたせて、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云うおしへあり」というのは、さやを腹に押しつけてみると(拳でもよい)お腹が引き締まって、腰と胸郭の間が広がる事が分かる。
帯のくつろがざるようにというのは、帯が緩まないように帯をぎゆっと締めてという意味だ。
帯は骨盤を締め付けるように巻くが、締めると腹が伸びる感じになるが、
緩いとお腹が締まらず、お腹が膨らんでしまう。

鉛直の姿勢の為に

「ひざより足先まで力を入て」このところは、“水の巻 足つかひの事”の中に「つまさきを少うけて、きびすをつよく踏むべし」とあることと関連する。
「ひざより足先まで力が入っていないと」つま先を少うけても(少し浮かしても)変化がないが、
「ひざより足先まで力を入て」いると、つま先を上げると、身体が後ろにひかれる。
人は、立つときに前傾して立っていることを知って、直している人以外は、皆、前に傾いて立っている。
そこで、つま先を少し浮かせるようにすると、身体が少し後ろ側にひかれる。この状態がおおよそ真っ直ぐ、鉛直な立ち方に近くなる。
それでも、まだ、鉛直ではない、そこで「きびすをつよく踏むべし」となる。
きびす(踵)を強く踏むと、正に鉛直の姿勢になるのだ。
ところで、「ひざより足先まで力を入て」という一文に「これは自然体では無いのでは」と、疑問を持たれる方もおられるかと思う。
そうではない。足もそうだが、大腿部も腰も、下半身には力を入れいる。
その分上半身が緩むからだ、太極拳の言葉に“上虚下実”という言葉があるが、このことを言っている。

頭は胸郭の上に安定して乗っている

「顔はうつむかず、あおのかず、ひずまず、目をみださず、
ひたいにしわをよせず、まゆあい(眉間)にしわをよせて、目の玉うごかざるやうにして、
またたきをせぬやうにおもひて、目をすこしすくめるやうにして、うらやかに見ゆるかお。
鼻すじ直にして、少おとがい(あご)を出す心なり。くびはうしろのすじを直に、うなじに力をいれて、肩より惣身(全身)はひとしく覚え、両のかたをさげ」
この辺は、鉛直に立ち、正中線をいかにして作り出すか、についての細かい注意であり、本当に、これだけ具体的に残してくれた武蔵には大感謝
「顔はうつむかず、あおのかず、ひずまず」これが顔の位置のあり方。うつむかず、ひずまずは、その通りではあるが、ひとつ、あおのかずは、昔の人たちにはこれが正解であったであろうが現代人にとっては、少し無理ではないかなと思う、
というのは10歳ぐらいまでは胸郭から、真っ直ぐ上に向かって首が生えているが、年と共に、首は次第に前に傾いて仕舞う人がほとんどである。
まれに、首が鉛直に生えている大人もいる。実際、目にすると見とれてしまうほどの見事さだ。
そんなわけで、前に首が傾いている現代人には「顔をあお向けて」これで、ちょうど、胸郭の上に、安定して乗る姿勢ができる。「少おとがい(あご)を出す心なり」も、同じに思う。
「くびはうしろのすじを直に、うなじに力をいれて」も、頭を後ろに引くようにして、胸郭の上に安定して乗るような形にするための注意だ。

うらやかに見ゆる顔

「うらやかに見ゆるかお」これは、立ち方が出来ていると、うらやかに見えるのだが、そのためには、この立ち方に加えることが少しある。“水の巻 兵法の目付けと云事”だ。

水の巻 兵法の目付という事
目の付やうは、大きに広く付くる目なり。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事兵法の専なり。
敵の太刀をしり、いささかも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事也。目の玉うごかずして、両脇を見ること肝要也。かやうな事、いそがしき時、にわかにはわきまえがたし。この書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付のかわらざる所、能く能く吟味あるべきもの也

焦点を合わせない目付

「目の付やうは、大きに広く付くる目なり。観見二つの事、観の目つよく、見の目よはく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事兵法の専なり」
これを「遠山の目付」ともいう。どこにも焦点を合わせないで見ている。
「敵の太刀をしり、いささかも敵の太刀を見ずと云事」
敵の太刀を見ると云うことは、焦点を合わせてしまうことになる。
焦点を合わせると、身体が瞬時に動けなくなる「居付」という状態になってしまう。
右脳と左脳の働きも此に似ている、右脳は景色をコラージュのように見ているだけ、
そのなかの一つに焦点を合わせて考えるのが左脳の働きだ。
合気は右脳の働きであり、左脳に切り替わると、合気は利かなくなる。
「目の玉うごかずして、両脇を見ること肝要也」
このように、視野を広くするように心がける。
「かやうな事、いそがしき時、にわかにはわきまえがたし。この書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付のかわらざる所、能く能く吟味あるべきもの也」
とあるように、常日頃にこころがけ、この目付けの状態の方が、日常的になることが大切だ。
「うらやかに見ゆる顔」というのは、この目つきのときに、そうなってくる。
コラム巌流島の決闘
コラムろくでなし

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